『戰袍日記』に見る、吉次峠における村田新八(歴史新書『村田新八』補遺その一) | 清明
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『戰袍日記』に見る、吉次峠における村田新八(歴史新書『村田新八』補遺その一)

 共著『村田新八 西郷と大久保二人に愛された男』(洋泉社歴史新書)が発売になりました。
 新書では紙幅の関係等で書けなかったことや小ネタなどを、何回かに分けて書きたいと思います。

 実は去年7月、新書の原稿にいよいよ取りかかろうかなというタイミングで、玉東町を中心に、玉東町教育委員会の宮本さんに西南戦争の戦跡をご案内いただきました。その時の写真を交えながら、新書の史跡紹介でもふれた、吉次峠では村田新八も戦っていたんだよ、というお話をしたいと思います。

 吉次峠は西南戦争における激戦地の一つで、篠原国幹が戦死した場所としても有名です。しかし実は、新八も戦っているのです。
 佐々友房『戰袍日記』によれば、3月3日に佐々が所属していた熊本隊は吉次峠を守っており、「村田、篠原、別府、三代木留本営ニ在リ急警ヲ聞キ部下三四百人ヲ提ケ馳セ至ル」とあります。佐々は新八と接することが多かったようで、新八に対する信頼が感じられる記述もありますが、篠原、別府とはこの日初めて会ったと書いています。
 佐々によれば、薩軍が敗走する中、「村田氏亦単身緩歩シテ来ル」とあります。大河ドラマ「翔ぶが如く」で、まさにそれを彷彿とさせるようなシーンがありました。雨の中冷静沈着、黙々と歩いていく新八に、幹部なのについてくる部下もいないのかと思ったものでしたが、実際にそういうことがあったようです。
 それはさておき、その後「村田、篠原二氏ハ吉次峠ノ絶頂凹處ニ一茅屋ヲ築キ之ニ居リ以テ諸軍ニ指揮」したというのですが、その「吉次峠ノ絶頂」と思われるのが、現地では葛山と呼ばれている場所です。


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 写真左手の坂を車で登って葛山の上まで行きましたが、かなり急でした。中腹の木が生い茂っている向こう側に、いくつか石碑が山頂を背に建っています。その裏、ちょっと登ったところが、いい具合にちょっとだけ平地なのです。
 あれ、これへこんでるってことでいいよね? もしかして新八と篠原が指揮していた小屋ってここにあった?とソワソワしました(笑)後世の整地の可能性も捨てきれないので、おそらくこの辺だろうということで。確かに仮小屋を建てるにはちょうどよさそうな感じでした。
 この葛山の小屋を指揮所として、新八と篠原がここで兵を3つに分けて各地へ派遣したりもしています。

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 下の写真は篠原国幹が戦死したとされる場所ですが、石碑の右側を通る道が旧道で、昔は石碑の目の前を通って下りていく道はなかったそうです。この旧道を歩いて吉次峠方面に歩いてみたいなとも思いましたが、さすがにそこまでの時間はなく。
 ちなみに、石碑から上の方へとずっと登って行くと、三ノ岳です。ここにも塹壕が残っているのですが、現地で見るならともかく、写真で見ると単なるヤブ(苦笑)なんだこりゃとなるので、写真は載せません(^_^;)


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 吉次峠周辺を見た後、吉次園というところでソフトクリームを食べました。西南戦争の戦跡巡りの休憩におすすめです(^_^)

 補遺その一はこの辺で。まだいくつかネタはあるので、ぼちぼち更新します。


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