甲東祭に参加してきました。 | 清明
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甲東祭に参加してきました。

 今年も、大久保利通の慰霊祭である甲東祭に参加してきました。今年は大久保没後、136年になります。
 私が甲東祭に参加するようになって、もう8年ぐらいになりますが、甲東祭の日はいつも暑いぐらいの晴天で、覚えている限りでは雨だったのは1、2回。今年もやはり、黒ジャケットがつらいぐらいの日差しでした(^_^;)
 今年は珍しく、老若の女性神主さんが2人ペアでの神事で、当然神主さん1人の時とは、やり方も違っていました。ただし墓前祭中の写真はなく、午前中のうちにお参りした時の写真を載せます。
 また今回は、大警視・川路利良が大久保の墓前に寄進した石灯籠と、大久保家父祖の墓を紹介したいと思います。


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 大久保家では、命日である5月14日にも墓前祭を行っているそうで、その時のものとおぼしき花が残っていました。
 それにしてもいい天気!

 
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 こちらは、大久保暗殺時に一緒に殺された、御者の中村太郎の墓。


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 川路寄進の石灯籠。明治11年7月の日付になっており、これだけ早い時期に、しかも個人で寄進しているのは川路だけでしょう。他には、内務省関係者連名の大きな石灯籠があります。
 こちらは大久保の墓前、向かって左側の石灯籠。


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 石灯籠に刻まれた文字のアップ。「仰欽餘光」とあります。大久保の余光=余徳をうやまう、という意味です。


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 こちらが墓前向かって右の石灯籠。


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 刻まれているのは「敢表徴忱」でいいのでしょうか、「徴忱」の意味が手元の辞典では調べきれませんでした(汗)が、「仰欽餘光」とあわせて、川路の心境をあらわす言葉として選ばれたのでしょう。(ここはあとで調べて書き直します……)


 大久保家の墓域には、大久保の妻・満寿(墓石は増子)の墓の右側に、各地から改葬された大久保家父祖の墓もあります。

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 改葬の経緯を刻んだ石碑。下は碑文のアップ。大久保の33回忌(年祭と言った方がいいかも?)の日付になっており、鹿児島市・旧南林寺、大阪市福島・妙徳寺、東京市芝・大圓寺の3ヶ所から改葬したことが書かれています。

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 一番左が大久保の母・ふく(皆吉鳳徳の娘)の墓。大久保が改名する前だったので、墓石側面に利済母と刻まれています。その隣が父・利世の墓。


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 向かって右側の墓3つ。大久保家は正左衛門を名乗った人が多かったようです。

 最後に、大久保のもう1人の妻、おゆうとその子供達の墓の現状。夏はこんな風になってしまいます。木が変な所に根づいてしまい、このままだと墓石が崩れてしまう心配もあります。なんとかしたいとも思いますが、縁もゆかりもないのに手を出すのはどうなのかなと……。

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 墓前祭終了後には、他の参加者のみなさんとお茶して、楽しいひとときを過ごしました。
 また来年もよろしくお願いします!
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