「大中神社」はどこに? | 清明
FC2ブログ

「大中神社」はどこに?

 とあることがきっかけで、大久保利通が父・利世の遠島中、毎朝お参りしていたという「大中神社」はどこなのかを調べ直してみました。自分の備忘録もかねて、ブログにまとめてみたいと思います。
 ちょっとネットで調べてみるとすぐ分かるのですが、「大中神社」は存在しません。私が以前調べてみた時にも、南林寺(大中寺の別名あり)跡地にある松原神社(祭神は貴久など)がそれか、もしくはあるにはあったけどなくなったのだろう、と勝手に結論づけてしまったのでした(汗)

 以上を踏まえ、まずは、大久保利通関連の資料に見える「大中神社」詣での記述を。


 勝田孫彌『大久保利通伝』上巻
 利通は深く父の境遇と、一家の不幸とを悲み、毎朝臥床を出で、星を戴きて大中神社(今松原神社と稱す、貴久を祭る所なり)に詣り、熱心に祈願するを常とせり、其頃、大久保家に出入せる商人あり、利通が、毎朝未明に、何所にか通ふを見て之を怪み、或時、竊に其後を追跡したり、利通は之を知るべき様なく、足を速めて老松鬱蒼たる大中神社に到り……

 勝田孫彌『甲東逸話』
 父が流された後、毎朝星の光り尚明かなるとき、臥床を出でて南林寺畔の島津家中興の英主貴久公を祭れる大中神社に詣で、熱血を濺いて父の赦免を祈願するを常とした。(中略)
 神ならざる甲東は、之を知る筈なく、例の如く足を早めて、目的の地たる南林寺畔を指して急ぎ、遂に老松亭々たる大中神社に到つた。


 松原致遠著・佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫版)
 鹿児島に大中(おおなかとルビ)神社というのがある。これは島津十四代の祖を祭ったもので、十四代の祖は島津家中興の英主として仰がれているだけに、藩のものの尊崇は非常である。それへ大久保公はこの遠島の間、毎朝毎朝参詣して父の無難を祈った。ついでに天神様へも詣った。


 勝田孫彌、松原致遠ともに大久保家に取材(松原は大久保の三人の妹達に直接話を聞いていることが明らかです)していますから、話の内容にさほどの違いはありません。
 ただし、この話にはいくつかの間違いがあります。島津貴久は島津家十五代ですし、なにより前述したように、大中神社は、古今鹿児島城下に存在していないのです。それは、薩摩藩が天保十四年にまとめた『三国名勝図会』を見れば分かります。
 そうなると、「大中神社」に該当しそうなのは、『大久保利通伝』にも書かれているように、貴久の菩提寺で明治二年以後は廃仏毀釈により松原神社となった、南林寺ということになります。南林寺は貴久の法号にちなみ、大中寺の別名を持っています(貴久の法号は「大中良等庵主」)地元では南林寺は「大中さあ」と呼ばれていたようです。ところが勝田の『甲東逸話』での書きぶりだと、まるで南林寺の近くに「大中神社」が存在しているかのようです。
 しかし、もし貴久を祭る「大中神社」が実在していたとして、薩摩藩の公式な地誌である『三国名勝図会』に記録されないのは不自然な気がします。明治も四十年を過ぎてからの回想ですから、南林寺の廃仏毀釈後に松原神社ができたために、記憶の混同が起きた可能性も否定できません。
 『三国名勝図会』では南林寺のことを、「一山四境茂松大林の中にあり」と書いています。「老松鬱蒼たる大中神社」に、条件的にはあいます。ちなみに松原神社の名前は、寺の山号の「松原山」から来ています。それだけ松の多いところだったということでしょう。

 あくまで個人的推測ですが、大久保は神と仏、両方に願をかけたのではないでしょうか。そうなると、薩摩藩士としての大久保が、お家騒動で罰せられた父のために貴久の菩提寺を詣でるのはごく自然だと思いますし、同時に詣でた天神様は、太宰府に左遷された菅原道真を祭ったものです。ついでとは書かれてますが、天神様詣でが事実なら、しっかり願をかける神を選んでいたということではないでしょうか。
 『三国名勝図会』を見ると、この天神様に該当しそうな神社は三つあります。天満宮(下伊敷村・鶴丸城西北)、曽根天神社(坂本村・鶴丸城東北)、萩原天神社(西田村・鶴丸城東北)です。南林寺は城の南方ですから、どれもついで、とはいかなさそうです。
 南林寺にも鎮守の神がいて、それが天神様であれば好都合なのですが(笑)、残念なことに弁財天でした。どこか、南林寺への行き帰りに他の天神様詣でもしたのかも知れませんが、推測でしかありません。

 というわけで、長々書いたわりに決め手に欠けますが、今のところの結論です。
 勝田・松原が大久保家に取材した時には、大久保の「大中神社」詣でが行われた嘉永年間から六十年近く経っていたため、当事者の妹達の記憶の混同などもあり、大中神社=松原神社=南林寺でほぼ間違いないのではないでしょうか。
 ただ、勝田孫彌自身も慶応三年生まれの鹿児島出身者(喜入)なので、大中神社=松原神社としてるあたりどうなのよ、という気はします(苦笑)喜入出身だし、城下のことには詳しくなかったのかな……。

 最後に、この記事を書くにあたり、FB上で丁寧なご教示をいただいたことに感謝を。いつもありがとうございます。
 
関連記事




ランキングに参加しています。
クリックよろしくお願いします♪
にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ

コメント


管理者のみに表示