清明
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またも薩摩へ。 2018秋 その2前編 西郷どんの遠行(エンコ)

 ちょっと間が開いてしまいましたが、薩摩への旅2日目です。
 9/23は朝から、「西郷(セゴ)どんの遠行(エンコ)」に参加しました。毎年秋分の日に開かれていて、鹿児島市内の小中学生も参加する、鹿児島の秋の恒例行事です。
 でも、大学まで鹿児島だった人に言ったら通じず、「俺らはやっぱり妙円寺詣りだよ」と言われたので、ここ20年ぐらいのようで。

 スタートは武の西郷家跡である公園か、加治屋町の西郷隆盛生誕の地のどちらでもいいことになっているので、私は生誕地へ。
 すでに結構な人が集まっており、受付らしきところで参加したい旨伝えると、名前と住所を書くよう言われ、地図を兼ねたスタンプ用紙をもらいました。

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 西南戦争の歌、なんと25番まである!? どんなメロディーなのか、激しく気になりました(笑)

 8~10時の間で、三々五々スタートしていいようでした。出発式みたいなのがないかちょっと待ってみたのですが、どこの方かよく分からない、偉い人のありがたいお話がしばらく続きそうで、でももう歩き始めている小学生の団体もいたので、さっさと出発(笑)



 おはようございます、大久保さん!
 というわけで、甲突川沿いに小学生の団体に混じって大久保利通像の横を通り、まずは座禅石目指してひたすら歩きます。

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 私は一人参加だったので、途中押さえるべきところは写真を撮ったりして、のんびりと。


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 最初のチェックポイント、座禅石に到着!


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 まだ早い時間で人も少なかったので、「今のうちですよ! 写真撮りましょう!」と係の方々もサービス満点でした。私は写真に写るのがあまり好きではないのですが、せっかくなので座禅石に座った写真を撮っていただきました。


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 説明がなかったら、ただの石ですね……(笑)

 ここから次の夏陰城跡に行くまでの道がよく分からず、スマホで地図を見ながら歩きました。このあたりは坂が多く、そこそこきつかったです。だんだん高台になっていくので、見晴らしもよくなっていきます。さらにこんな坂を登り、すでに「もうここいらでよか……」と言いたくなりつつ(苦笑)


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 夏陰城跡、到着!

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 ここからさらに上がって、城山の方へと向かうのですが、夏陰の方から城山に行ったことはなく、いい経験ができました。
 西南戦争の時、このあたりに布陣していた薩軍の人々もこの景色を見たのかなあ、と思いつつ。


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 もしかして昔からある道かも知れない、細い道を通り抜け、桜島が見えるポイントで冷たいお茶のサービスを受けて、城山の方へ。この日の桜島はもくもくしていました。

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 西南戦争に思いを馳せつつ、今度は坂道を下って、せっかくなのでもう何回目かも覚えてない城山展望台に寄り、しばしまったりと。


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 チェックポイントである薩軍本営跡は分かりづらい場所にあり、行き方が分からず城山で右往左往してしまう方もいると聞きました。ドン広場の奥にあるんですよね。私も最初に行った時には、こんなところに! と思いました(笑)


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 本営跡は森に入ったところにあり、道も狭いので、一方通行で並んでスタンプ押してもらってまた広場へ戻ります。ドン広場は、学校ごとに説明を受けたり、遊具などもあるので休憩ポイントになっているようで、小学生で混雑。
 ここからは、城山をひたすら下り、南洲洞窟へ。


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 ここからは、やはり一人参加の地元の方に話しかけられ、その方とご一緒しました。洞窟から西郷隆盛終焉の地へ行くまでの間で、どういうわけか参加者に西郷札の複製(紙に両面印刷)を配っていたので、喜々としてもらいました。
 するとご一緒した方は興味がないからともらった西郷札を私に下さって、「聞いちゃ悪いかなと思ってたんだけど、歴女なの?」と。まあ普通、一目見て西郷札だ! と喜ぶ人はそういないし、好きじゃなきゃエンコに一人で参加しないですよね(^_^;)でも上には上がいて、毎年9/24にあわせて鹿児島入りしている知人がいるのでした。

 この辺になると人も増えてきて、顔が写りこんでしまうので写真もありません(^_^;)
 終焉の地でスタンプを押してもらうと、あとはゴールの南洲墓地へと歩くのみ。途中、五代友厚生誕地のすぐ近くを通りましたが、道連れもいたので立ち寄りは断念。
 スタート地点でもらったスタンプ台紙と地図を兼ねた紙には、石段を登ると書かれていましたが、実際には誘導されて途中お茶のふるまいを受けつつ、坂道を登るルートでゴール! さすがに少し疲れましたが、無事歩き通せました。

 参加賞のクリアファイルをもらいに顕彰館へ。この日、西郷南洲顕彰館は無料開放されており、ざっと展示も見学。ゴールまでご一緒した方と、知り合いを待たないといけないので、と言ってお別れした後、7月の鹿児島行きでお会いした館長さんがいらしたのでご挨拶。
 館長さんにうかがったところでは、参加者は毎年2500人~多い時で5000人だとか。今年は中学校の体育祭と日程がかぶったそうで、中学生の参加はなかったようですが、なかなかの規模にびっくり。

 その後、まだお知り合いと合流するまで時間がかかりそうだったので、南洲墓地と神社にお参りした後、境内茶屋なんしゅうでしおせんソフトの抹茶を。ちょうどいいクールダウンになりました(^_^)


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 エンコのお手伝いをしていたお知り合いのみなさんと合流、いざ中村晋也美術館へ!
 というわけで、後編に続きます。



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またも薩摩へ。 2018秋 その1大阪編

 9/22~24の日程で、またもや鹿児島に行ってきました。明治150年の今年は、西南戦争終結の日にして西郷隆盛や村田新八などの命日である9/24前後を、鹿児島で過ごしてみたいという動機からでした。
 ですがこの時期、連休だったので飛行機が高い! ついでにホテルも高い上に選択の幅がない! 
 考えた結果、この際飛行機が高ければ新幹線に乗ればいいじゃない! とばかりに、途中数時間ですが大阪に立ち寄り、史跡を巡った後、九州新幹線みずほを新大阪から鹿児島中央駅まで乗り通すという計画を立ててみました。乗り鉄気味のため、機会があれば一度乗り通してみたかったんです、みずほ(^_^)
 というわけで、旅の1日目は大阪編です。

 以前からSNSで繋がっていたエノカマさんにご案内いただいて、短い時間の中でかなりいろいろ見ることができました。感謝。
 新大阪駅でエノカマさんと合流し、まずは阿倍野へ。ようやく、五代友厚のお墓参りをすることができました。

 灯籠や石碑などは、建てられた日付や名前などをまずチェックせずにはいられない私(苦笑)
 堀孝之が建てた石灯籠と、弘成館の人々が寄進した鳥居。墓域内には顕彰碑や奥さんなど家族のお墓も。
 

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 長州藩士達のお墓をご案内いただいたり、また薩摩の高崎親章のお墓も見かけましたが、その時はなにをした人だったか思い出せず……。後で調べたら、明治10年に川路利良に帰郷・視察を命じられた警視庁メンバーの一人でした。
 その後、かつて陸奥宗光や小松帯刀のお墓があった夕日岡(夕陽丘)周辺を散策。ここは確か、司馬遼太郎の『燃えよ剣』で土方歳三の恋人が住んでる設定になってましたよね?
 今は建物が建てこんでいて、当時を偲ぶことは難しいですが、昔は海が見えるとても眺望がよい場所だったわけで、このあたりの坂や地形についてご案内いただきつつの散策でした。



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 このお地蔵様は「清地蔵(さやじぞう)」といい、陸奥宗光ゆかりのもの。
 
 この後行った清水寺の写真がなぜかないのですが、お彼岸の準備でバタバタしててすみませんとおっしゃりつつ、お寺の方が親切に対応してくださって、二階も拝観させていただきました。階段の踊り場に、復元した算額が飾られており、神社に奉納されてるのはよく見るのですが、お寺にあるのはあまり見たことがない気がして、興味津々。

 台風の爪痕を感じつつ、裏から行ったので、着いたら真田信繁(幸村)が戦死した場所である安居神社で、ちょっとびっくり。思いがけず行けてよかったです。
 ここでは蚊がすごくて、一瞬でも気を抜くと足に蚊が群がって刺されてしまう状態でした(時間差でかゆみが来て、鹿児島で大変なことにw)。御朱印待ちつつ一生懸命足をたたいたりして蚊を払っていたら、神社の方が虫除けスプレーを貸してくださり、かわいい虫除けシールもくださって助かりました。でも、「蚊も人も共存しないとね」等、やんわりながらもおっしゃっていたので、後から思うと、おそらくは神社内で殺生するなってことだったんでしょうね……。反省。


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 安居神社から歩いてすぐの一心寺は、すごい人出でびっくり。お彼岸にお寺に出かける習慣があるようで、この後行った四天王寺も人がいっぱい。実家の方ではお彼岸には自分の家のお墓参りをして終わりだし、そもそも近所にお寺があまりなく、普段お寺になじみがないので、興味深かったです。

 一心寺の中にある、東軍戦死者招魂碑は高橋泥舟の書。木に埋もれており、教えていただかないととてもじゃないけど気づけません(苦笑)
 こちらには、会津藩士のお墓もありました。

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 四天王寺は市も立っており、境内は広く、とても賑やかでした。ここは聖徳太子(厩戸皇子)が建立したと伝えられるお寺の一つ。この前奈良にも行ったので、これで太子が建立したと伝えられるお寺はすべて行ったことに。
 そしてここは、桜田門外の変に関わった高橋多一郎・荘左衛門親子の最期の地でもあるので、石灯籠などの陰になって分かりづらいところに碑がありました。さらに境内の奥の方へと行くと、お墓があります。
 お寺の裏の方に、おそらくは大阪市内各地から集められたとおぼしき石碑が並んで建っているところがありました。長岡外史や一戸兵衛などの名前を見つけましたが、その中に大阪府知事を務めた大久保利武の名がある碑も。前述した高崎親章も、利武より前に知事を務めています。


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 四天王寺を出た後は、五代様の銅像巡りをしつつ、北浜方面へ。
 大阪取引所前の五代様、大きい! かっこいい!
 取引所近くのビルには座っている五代様がいますが、なんと、鹿児島にある大久保利通銅像のボツ案とポーズがほぼ同じでした。鹿児島で行った、銅像の作者である中村晋也さんの美術館では、これでもかと写真を撮ってきたので、また改めてご紹介します。

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 大阪史跡巡りの締めは、もしかしたら15年以上ぶりかもしれない適塾。お久しぶりです、洪庵先生!


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 増改築されているので、緒方洪庵が住んでいた頃そのままというわけにはさすがにいかないのですが、当時を偲ぶことは充分できます。二階の塾生部屋には、幕末明治に活躍した人々も寝起きしていたわけで、塾生達が切りつけたとも言われる柱もあります。
 実は今回、洪庵のお墓と大村益次郎の足塚がある龍海寺も訪ねたかったのですが、境内が台風で荒れているという事情で訪問できませんでした。洪庵も大村も、昔から気になっている人物です。きっかけは、司馬遼太郎の『花神』です(^_^;)
 司馬作品の中では、『花神』が一番好きかもしれません。実は『翔ぶが如く』ではないのです、はい(笑)

 新大阪駅でエノカマさんとお別れし、みずほで一路鹿児島へ。約4時間も乗るので、指定席を選択。腰へのダメージを心配していましたが、シートもとても快適で、しかも2列シートなのでゆったりでき、そもそもが乗り物好きの私には、まったく苦ではありませんでした。
 九州に入る頃にはすっかり日も暮れ、月がきれいで、西南戦争に思いを馳せていたりしたら、あっという間につきました。
 ただいま鹿児島!(笑)


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 さすがに地元で、「西郷どん」の超特大広告に超特大の鈴木亮平さんのサイン。

 夜は、お知り合いの方々との飲み会。いろいろな話をし、中村晋也美術館で大久保関係の展示をやっているから、行ってみよう! ということになり、みんなで翌日の「西郷どんの遠行(エンコ)」が終わった後行くことに。
 というわけで、例によって石碑とか銅像の写真ばかりの歴史旅レポにおつきあいくださり、ありがとうございました。2日目のレポも、後半は銅像ばかりなのでよろしくお願いします(^_^;)



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歴史新書『村田新八』収録「村田新八詳細年譜」明治10年補遺公開

 7月に村田家にお招きいただいたのにあわせ、新書に収録の「村田新八詳細年譜」の明治10年補遺を作成し、当日資料としてお配りしました。それを、作成者のご厚意により、web上でも公開します。

 下の画像をクリックすると、PDFが表示されます。
 赤文字が今回、追加や修正を加えた部分ですが、これでだいぶ西南戦争中の村田新八の動きが分かるかと思います。

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今年も薩摩へ。2018夏 その3

 旅も3日目、ついに講演会等がある日を迎えました。
 緊張からかあまり寝られず、この日も早く起きて、桜島を眺められるラウンジで講演レジュメの最終チェックをしながら、桜島に日が昇ってくるのを眺めていました。本当に桜島が好きすぎます(笑)


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 時々眺めていると、噴煙らしきものが上がってきたりして、見飽きることがありません。



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 そもそもがすぐ緊張するたちなので、もう朝食の時点から緊張してました(^_^;)
 会場は9時から受付開始ということでしたが、あんまり早く行ってもますます緊張してしまうのではないかと思い、チェックアウトを済ませ、9時半頃に行きました。
 すると、「歴史新書『村田新八』出版記念講演会」と書かれたものが廊下に出ており、ひえっ! 打ち合わせで話には聞いていても、いざ会場に入ると、村田家のご親族だけで80人強集まるので、部屋も結構広く、演台の横に大きな村田新八の写真パネルがあり、新書も飾られ……という、講演会会場としてしっかりセッティングされている様子に、すっかり飲まれてしまいました。
 配付資料も則村さんと私のレジュメ以外にもいろいろ準備されており、この会をやるためにいったいどれほど準備に手間と時間をかけたのかと思うと、本当に恐縮するやらありがたいやら、則村さんと一緒に配付資料を見て、思わず感極まったりしてました。

 私はもうだいぶみなさん揃われていた頃に行ったため、ブログに載せられる会場の写真はこれぐらいです(^_^;)


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 みなさんの集まりがよく、なるべく講演に時間を使ってもらいたいとのことで、会は予定より早くスタート。まずは則村さんが、戊辰戦争までの村田新八について講演。レジュメに写真を多く使い、あまり歴史に詳しくない方にも配慮した分かりやすい話に、そもそもが話し下手の私は、自分がこういうふうにできないのは分かっているので、プレッシャーでした……。

 そして私の番となり、これまで聴講する側として見てきた光景を演者として見ることに、本当に私なんかでいいんだろうか……と震える思いでした。しかも私のレジュメは、なるべく分かりやすく興味を持ってもらえるように、と思い、エピソードを多く拾ったものでしたが、則村さんと対照的に文字ばかりで、その点も大丈夫かなあと不安に。

 頭が真っ白になって話す内容が飛んだりしないよう、配布したレジュメに赤で話すべきことを追加した粗原稿的なものを準備し、さらに手書きでいろいろ書きこんだりしていたのですが、すっかり舞い上がってしまい、準備した通りにやれず、話の流れもスムーズではなく、同じことを何回もいってしまったり……。それでも、みなさん本当に真剣に聞いて下さり、うれしかったです。
 緊張のあまり腕時計の時間も読めなくなるほどでしたが、それでもなんとか話し終えることができました。

 講演会の後は、会場の設営を変更している間に部屋の後ろの方で記念写真を撮り、その後村田家の合同慰霊祭に移りました。村田家は明治以後神道になっているため、南洲神社の宮司さんをお呼びして行われました。我々も玉串を捧げさせていただきましたが、その際にも一番前の席が準備され、本当に恐縮かつ光栄でした。
 
 こうしてなんとか大役を果たした後、会食がありました。これまたおいしい料理が食べきれないほど出ました。
 南洲神社の宮司さんや、会食のみ参加だった西郷南洲顕彰館の館長さんと同じテーブルだったので、いろいろお話しさせていただけて、よかったです。村田家の方々も喜んで下さったようで、講演の感想等をいただけ、うれしかったです。
 会食会場の後ろの方には、新書の年譜を一目で見られるようにとのことで、打ち直して大きくしたものが貼られ、年譜のメイン作成者だった私は、ここまでしていただいたことに、思わず泣きそうになりました。


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 こうして一連の行事は無事終わり、この日の最終便で帰るはずだったのですが、台風でフライトに影響が出るかも知れないので、念のため月曜日も休みを取っていた私は、まあ無理して帰ることもないし、ということで、延泊しました。もっと薩摩の地にいたかったんですよね……。
 村田家の方に送っていただいて別のホテルに入り、ニュースを見ていると、これはもしかして今日中に帰った方がよかったかも? と思ったりしましたが(乗るはずだった便はほぼ遅延もなく飛んだ)、結果的には雨もあまり降らず、帰りの便もまったく問題なく。大好きな土地で、月曜日の朝をゆっくり過ごして帰る幸福感は格別でした(笑)

 今回、なにからなにまで至れり尽くせりでお世話になった幹事の方、あたたかく迎えて下さった村田家の方々には、本当に感謝しかないです。この会のためにと、配付資料として村田新八年譜の明治10年補遺版を作ってくれた友人にも感謝を(この年譜補遺は、準備ができ次第公開予定です)
 今後もますます精進して、頑張っていきたいなあと、決意を新たにしました。

 旅行記はこれで終わります。でもまたすぐ、9月に鹿児島に行くことにしたので、その旅レポもいずれまた。
 ここまでお読みいただき、ありがとうございました!



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今年も薩摩へ。2018夏 その2

 夏の薩摩旅行記、2日目です。

 朝は早く目が覚めたので、恒例の朝の散歩で桜島を眺めました。40分ほどの散歩でしたが、南国特有のじめっと肌にまとわりつくような蒸し暑さに、じっとり汗が。
 ホテルに戻ると、東京の方ではあまり聞かないタイプの蝉時雨がすごい! 土地によっても蝉時雨は違うんだなあと、今さらかも知れませんが、改めて気づかされました。
 汗を流すため朝風呂を堪能してから、朝食バイキングへ。あまり量を食べられないので、その場で作ってもらえるオムレツは断念。無念。


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 8時に村田家の方がホテルに迎えに来て下さることになっていて、則村さんとも合流し、いざ出発。私の希望で、まずは村田新八のお墓とは別にある、村田家のお墓参りをさせていただきました。墓石のお掃除もさせていただき、感無量でした。
 その後はまだ時間もあったので、リニューアルした維新ふるさと館に連れて行っていただきました。きれいに模様替えされ、展示の順番などが変わっていましたが、コンテンツそのものは以前のものが健在なのも多いようでした。最新技術を取り入れた、郷中教育体験コーナーが楽しくて、気づいたら我々大きなお友達は小さなお友達に気を使いつつ、3種類制覇していました(笑)

 私がTwitterで見てうろ覚えに、体感シアターの「維新への道」で村田新八の声をやっているのは某有名声優らしいという話をしたところ、ちょうど上演時間にまにあい、せっかくだから見て確認しようということに。則村さんと答えあわせ的にわいわいしていたら、受付に村田さんが聞きに行って下さり、あっさり分かりました。
 なんと、
 村田新八:池田秀一
 大久保利通:山寺宏一(敬称略)
なんですって! 池田さんっていったら、シャアですよ! 大久保=山寺さんというのは、まったく分からなかったのでびっくり。他にも見覚えのあるお名前があり、なにげに豪華キャストで、一同興奮(笑)

 維新ふるさと館に行った後は、人と会う約束があったので、いったん村田さんとお別れ。ランチがてら貴重なものを見せていただいて、再び村田さんにピックアップしていただき、目指すは龍門司坂。ずっと行ってみたいなと思っていて、なんなら今回の薩摩行きで自力で行くつもりだったのですが、ありがたくも連れて行っていただけることに。
 駅から徒歩20分という情報を真に受けて、まあタクシーで行ってもいいし、と軽く考えていたのですが、連れて行っていただいて本当によかったです……。この日は本当に暑かったので、一人で行ったら暑さにやられて大変なことになっていたかも(+_+)


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 龍門司坂は、西南戦争の時に西郷隆盛や村田新八も通った、大口筋と呼ばれた街道の一部が史跡として残されているものです。大河ドラマ「西郷どん」のロケ地にもなっています。
 当然、西南戦争の時ばかりではなく、歴史上有名なあの人この人も何回も通っているだろう道です。当時は道として現役だったので、こんなに苔むしていなかったと思いますが、雰囲気満点で往時をしのぶには最高でした。感動しつつ歩いていたら、あっという間に終わってしまって残念。

 
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 下から上に龍門司坂を上がったところで、待ってていただいた車に再び乗りこみ、あまりに暑いのでかき氷でクールダウン。
 その後、龍門の滝へ。坂はたつもんじざかですが、滝はりゅうもんと読むようです。私実は、龍門の滝が大河ドラマのオープニングに使われていることを知らず、この後日曜日に初めてまともに大河ドラマを見て、驚いた次第です(^_^;)


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 写真だと滝が遠そうに見えますが、実際には下まで下りるとふわっとミストが来て、マイナスイオンをたっぷり浴びられた、はず。

 ホテルに戻り、お風呂に入ったりして少し休んだ後、村田家の会食にご招待いただいていたので、宴会場へ。
 親戚が極端に少ない家に育った私は、大勢集まり和気あいあいでありながら、最後までしっかり仕切られる宴会に、ただただ感嘆。おいしい料理も食べきれないほど出て、緊張しつつもとても楽しかったのですが、お開きとなったら、みなさんサッと帰るのに驚き。
 それもそのはず、村田家はお酒を飲める方がほとんどいないのです。こんなに飲めない方ばかりというのは、間違いなく遺伝ですよね。村田家本家の奥様は、嫁いだ当初、親戚一同がたとえお正月でも、飲まなさすぎてびっくりしたしつまらなかった、とおっしゃってました(笑)
 ということは、逆算するとおそらく新八もお酒が飲めなかったのかも知れないなと。

 明日は講演会本番というわけで、部屋に戻り寝ようとしましたが、かなり前から決まっていた今年一番の大イベント、しかも人生初の経験がいよいよ明日となると、さすがになかなか寝つけませんでした(^_^;)

 というわけで、旅行記も講演本番のその3に続きます。



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